ジプシーの民がやって来た。

日本で応仁の乱(1467)が起こり、室町時代から戦国時代に入ろうとしていた15世紀のことです。ヨーロッパでは、イスタンブル(現トルコ最大の都市)を拠点においたオスマン帝国の勢いが止まらず、東ローマ帝国は滅亡(1453)の危機に直面していました。

大航海時代の幕を開いたイベリア半島では、イサベル女王とフェルナンド国王の結婚(1469)により2大勢力が統一。最南端のグラナダでは、イスラム帝国の最後の砦であったアルハンブラ宮殿の陥落(1492)が目前に迫っています。そんな激動するヨーロッパの混乱に紛ぎれて、奇妙なキリスト教の巡礼者達が西欧諸国に姿を表しました。

Jacques Callot- "Gipsy Encampment"
Jacques Callot- “Gipsy Encampment”

彼等の肌は浅黒く、髪の毛や瞳の色もヨーロッパの人々とは明らかに異なります。行く先に定住することを好まず、金細工や木工、籠づくりなどで生計を立てていました。楽器演奏や踊りなどの芸能と、占いなどを得意とする人たちもいます。

「君たちは、どこから来たの?」

「エジプト ノ ホウカラ キマシタ」

「エジプトの方(ほう)ですか」

「ハぁイ」

「では、あなた達はエジプトの方(かた)ですね」

「…ん?」


イギリス人は、自国に現れた放浪の民をエジプト人(egyptian)だと思い込み、彼等のことを「ジプシー(gypsy)」と呼びました。やがて、この「ジプシー」という名前は世界中に広まり、今日の日本にも深く浸透していきます。スペイン語では、「ヒターノ(gitano)」と呼ばれていますが、同じく「エジプトの人」という意味のようです。この「ジプシー」という誤った呼び名は、アメリカ大陸の先住民につけられた「インディアン」という呼称に性質が似ています。


ジプシーと呼ばれるかつての漂泊民族は、世界各地でたくましく暮らしています。最も多くのジプシーが住む国は、インド(230万人)です。そして、ルーマニア(220万人)、イラン(150万人)、エジプト(110万人)と続きます。アメリカ大陸で多い地域は、ブラジルの90万人。アメリカにも、60万人の方が移住しているようです。フラメンコが生まれたスペインでは、66万人のジプシーが住んでいると考えられています。

今回は、「ジプシーの出現」について調べてみました。


参考資料:関口義人『図解 ジプシー


ご紹介する動画は、「Bajari: Gipsy Barcelona(2012)」というドキュメンタリー作品の予告ビデオです。この作品を、日本国内のAmazonで検索してみたのですが見つかりませんでした。

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